彼女はまる3日の休暇を2日で切り上げ、Worldに戻ってきた。このテーマパークにも正式名称はあるのだが、プレイヤー達は、WorldとかWorld-Ｇとか呼んだりする。後者はこのテーマパークの業態を亜流の芸能界式集金システムだと皮肉ったものらしい。
ゲーム参加名アリエス、彼女は車をプレイヤー専用区画のパーキングに預け、プレイヤー専用ゲートに向かった。
各種センサーやカメラが取り付けられたプレイヤー専用ゲートの前に立ち、パネルの前に右手を翳した。システムは彼女を正式な登録プレイヤーと確認した。「お帰りなさい。再入場を許可します」と言うアナウンスと共にメタリックシルバーの扉が左右に開いた。
森の中に、陽光に輝く建物が点在する。輝いているのは太陽光パネルや、夜になると電源が入る各種液晶パネル、そして強い日差しを遮る特殊ガラス群だ。
もうお昼は完全に回ってる。これから、各種手続きをしても、ゲームに再参加出来るのは、早くて明日の午前中だ。彼女は小鼻を膨らますと、管理センターに向かう長いmoving walkwayに足を踏み出した。
センターで、手続きし、agreement roomに入室した。暗い照明の狭い部屋。
イベント施設間やシミュレータ間を行き来するためのtransporterとさほど変わらない筒のような空間の中央に、椅子とテーブルがある。
丸いテーブル上には液晶ディスプレイと、その左側には片手で摘み挙げることが出来そうな小型のプリンター、右手には、指紋認識機能のついたマウスが置かれている。
アリエスがマウスに触れると、室内に音声が響いた。
「契約確認作業を開始します」
優しい口調だが冷たい印象がある。
「確認作業が完了するまで、貴女は撮影されます。宜しければ、同意ボタンを。そうでなければ、同意しないをクリックして下さい」
彼女が同意ボタンを押すと、液晶ディスプレイ上部に備え付けられた極小カメラの横にある赤いランプが点滅した。
その後、契約文書と同意作業が延々と続く。
もう、慣れた作業だったが、億劫だった。
契約同意文書の内、前回更新時との相違点は赤字で示される。
彼女は、文書を目で追い、作業を進めるものの、他の多くのプレイヤーと同様、熟読出来てはいなかった。
彼女達プレイヤーが、この内容を胸に迫って実感出来るのは、戦闘ゲームに敗北した時、或いは、その結果敵チームの捕虜になった後。
そう、transporterの扉横や、各種イベントルームのゲート横にある液晶ディスプレイに、秒読み音と共に、派手派手しく表示される警告文を目にした瞬間である。
内容は……
彼女達プレイヤーは、運営会社に雇用されている従業員ではなく、あくまでこの施設のシステムと空間を借用し、この施設とシステムの規約に基づいて収入を得る個人事業主であること。
彼女達プレイヤーは、女優或いは男優として扱われ、イベントあるいはゲーム参加中のプライバシー及び肖像権は一切保障されないこと。撮影あるいはネット公開が行われている空間とそうでない空間は、予め知らされている場合と、入室時の注意書きで警告される場合がある。またプレイヤーのコントロール下にある空間も数多く存在し、それは、彼女達プレイヤーの大きな収入源の一つである。
前述のようなプレイヤーの肖像権に大きく依拠する運営形態に配慮し、運営会社はプレイヤー達のこの施設外、つまり日常生活でのプライバシーの保護には、最大の配慮と支援を約束している。参加者バックアップ用の法律部門は警備部門・調査部門等も擁し、益々充実しつつあり、参加者へのストーカー行為、プライバシー侵害被害に対しては最小で5年の法的支援を約束している。実際に、ストーカー行為者の逮捕強力、プライバシー侵害者への損害賠償請求等に数多くの成功実績がある。
ビジネス契約的な確認作業の後は、ゲームルールの規約とそれに従う旨の確認作業が続く……
一通りの同意確認が終わり、健康診断用のアンケートに答え始めた。別段体調に変化はなかったが、数十項目の内、休暇期間中の性交渉の有無の欄には嘘を記入した。
プリンターから打ち出された誓約書とアンケート用紙を持ってアリエスは席を立った。扉の前に数秒立ち竦み、そして自嘲するような笑みを浮かべた。この部屋は、ゲーム空間を中継するtransporterの扉とは違い、手動なのだ。
アリエスは、実際に係員の居るカウンターに向かって歩いた。後ろで誰か、恐らく他のプレイヤーが、agreement roomの扉を開く音が聞こえた。でも、なるべくプレイヤー同士が出会わないような配置でパーテーションが並べられているため、顔を合わすことはなかった。
女性担当者の目の前で誓約書にサインし、それを手渡した。そして携帯端末を預ける手続きをする。これまで同様、緊急時の主連絡者を姉にしておいた。
一旦、参加者としてエントリーすると外部との連絡は著しく制約される。なぜなら、連絡が自由に過ぎると、外部の人間とのネットワークを通じて、自チームに有利な戦況にゲームを進めることも可能となり、それは規約違反となるからだ。
尤も、規約に基づき一定の場所と時間に限り、連絡出来る設備も用意されている。しかし、その内容は規約に基づき全て録音される。
アリエスは管理センターから専用通路を使い、医療センターの健康診断棟を目指した。一般的な健康診断に加えて、各種感染症の検査を受けねばならない。様々なシチュエーションでのプレイヤー間の接触が想定されるため、その辺の検査は念入りに行われる。
どの道、自分が基地に戻り、再びシミュレターを駆って活動出来るのは、明日の午後以降である。彼女は、自チームの余りにも不利な戦況に想いを馳せた。戦略が思い浮かばない。最低でも、パメラの手からチームメイトを救い出したい。彼が奴等にどんな目に合わされているかと思うと顔が赤らんだ。ひょっとしたら、自分も再びパメラの手に落ちるかも。全く彼女の意志を蔑ろにして、いけない妄想が脳裏を過る。
べノンの要塞に囚われた数時間の事を思い出すと、体も火照ってきた。心臓もドキドキする。これが、明日からの戦いに備えての武者震いなのか、性的な興奮なのか、あるいはそれが綯い交ぜになったものなのか彼女には判別が付かなかった。
「こんなにドキドキしてちゃ、心電図になんか出そう」
健康診断棟の玄関に到着したアリエス。
彼女は、エントランスの左脇にこそこそと歩み寄ると、自分の背丈ほどもある観葉植物の脇に隠れ、深呼吸した。
顔を触ると頬が熱い。
彼女にとって、今、この瞬間の一大事は、受付で見せるクールな表情を取り戻す事だった。