今日の予定の内容は、詳しくは教えてくれなかった。ミーナは上からそう指示されている様なので、致し方ない。
二人で水族館のような薄暗い通路を、ドレッシングルームへ向かった。プレイヤー達の個室と変わらないデザインのスライドドアの前に立ち、入室用の認証を行う。画面にはPrivacy protection Status 5の表示が出ている。プレイヤーの居室と同じで、一切の撮影、録音装置は設置されず、その類の装置類の持ち込みも禁止である。ただ、誰が入室しているかは運営側が把握しておく必要があるため、認証過程がある。そしてこれも居室同様であるが、入室者の体温、体調等は各種センサーでモニターされている。不測の事態が起きた場合、一定のアルゴリズムでコンピュータープログラムが感知し、運営側はそれを受けて、部屋にコールを掛けてくる仕組みになっている。これに応対しないと、ゲーム進行に全く関係のない係員が事務的に訪問して来るらしいのだが、レナはそんなことが起こったことを、仲間のプレイヤーから一度も聞いたことがない。頼もしいシステムであるとは思うが、プレイヤー以外の係員がちょくちょくやって来ては、この施設の売り物でもある非日常性が損なわれる。多分、最小限に抑えようとの配慮が施されているのだろう。
部屋に入ると、先客が一人居た。思わぬ事態は、二人きりの比較的穏やかな時間に終わりを告げた。冷酷な現実。その気配が、レナを取り巻く空間を再び支配し始めた。表情が曇りそうになるのを我慢するレナに、相手は軽く会釈する。黒い全身ラバースーツのようなものを身に着けていた。レナには強烈に見覚えがある。同性であるサラに犯された？とも言える、あのショッキングな出来事が、脳裏を過り一瞬で頭の中を制した。まさか今度はこの女に抱かれろとでも言うのだろうか。
この期に及んではもはや詮無き心理抵抗を抑えようと努力したが、自分の表情が哀れに歪んでいくのをレナには制御することが出来なかった。
活動しやすそうなポニーテール、オーバル型フレームの眼鏡を掛けた女教師然とした風情。ひょっとして、この女性にスパンキングプレイでもされるのだろうか。昨日のように、極限まで羞恥心を甚振られるのに比べたなら、多少痛いのを我慢した方が気楽なようにも思う。
そんなレナの心中を察したのか、ミーナが言った。
「この人プレイヤーじゃないの」
レナはうっかり忘れていた会釈を初対面の彼女に反すと、ミーナのその言葉を心の中で範唱しながら、改めてその女の顔を観察した。
そう言えば、地味な佇まいで、プレイヤー的な華と言うか、雰囲気が感じられない。そう想うと、今度はその女性がお役所の大人なしめの事務の人のように見えてきた。
「Worldの運営会社の関連会社の開発部の女性」
ふ〜んと取り敢えず頷くレナ。
「サラはね、」
その名を聞くと耳がピクンと反応するレナ。
「その開発部から、ビジネスとして試作品のモニタリングを請け負ってるの。初期のテストマーケティングも兼ねてね」
「彼女はその担当者、VIP待遇でホストエリアに滞在してるの」
ミーナが女性に視線を遣った。
「ねっ！」
「和奈です。宜しくお願いします」
彼女は、丁寧にお辞儀する。
「私達より、年上よ」
レナはミーナの台詞に反応し、和奈の眉がピクリと動いたのに気づいた。
プレイヤーとしての特質上、詳しく自己紹介する立場にないので、鸚鵡返しのように、挨拶を返すレナ。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
恐縮したように三度、頭を垂れる和奈。レナは自分の立場への同情のようなものを感じ、少し悲しく感じた。
「彼女の着けてるスーツ、見覚えあると思うけど、これからあれと同じタイプのを身に着けてもらうから」
ミーナが本題に入り、和奈に説明を促す。
「これ、何だっけ」
和奈が回答の成否を窺うかの様にミーナの顔色を見ながら言った。
「サンプリングスーツ……」
ミーナが取り消すように言う。
「じゃなくて、シオンとか言う……」
「ああ、はいはい」と言う感じの表情を口元に浮かべ、説明を始める和奈。
「まあ、それは商品名でなくて、開発コード名でぇ、……『sexual intercourse on-network』の頭文字を取ったものです。要するにインターネットを含む各種ネット環境を介してぇー、人間の持つ5感の幾つか或いは全てを統合した性的な体験をですね、リアルタイム或いは事後的に共有出来る機能を備えた、一連の製品シリーズの仮称なんです」
ミーナが付け加える。
「一般に普及しているオナニー用とはちょっと違うのよね……」
神妙な顔で頷き説明を続ける和奈。
「そうですね、そこに特化した市場も捨てがたいのですが、そういった自己満足の世界に終わらず、夫婦とか恋人とかに代表されるパートナー間の共通体験と共感を、強力且つ建設的にサポートする、コミュニケーション型の製品群を目指しています」
メーカーのセールストークのようになりがちな和奈の物言いを砕こうと、ミーナが度々口を挟む。
「具体的にどんな分野だっけ？」
一瞬、顎の先に人差し指を宛て、考える仕草をする和奈。
「判りやすい例では、遠距離恋愛とかぁ、後は生物学的に安全に、複数のパートナーと共通体験を得るための用途ですね」
ミーナが要約する。
「つまり、セックスでしょ」
ミーナをちら見し、応える和奈。
「まあ、そう言うことですけど……心療医学用途のものや、リハビリ用途等のものも視野に入れて開発は続けられています。このシオンの開発郡は、現在SV11まで展開されてます。今、ここWorldでテストされているものは、SV4に該当し、データ受信側とサンプリング及び送信側に別れたタイプで、今年度中に発売を予定しているものです。双方向型のタイプも開発を進めているのですが、これは、モビルスーツのような大掛かりな装置で、一般の市場に出回るのは、まだ何年か先ですね」
ミーナが物知り顔で注釈を付ける。
「SV7以降ね！国防事業局とか宇宙開発機構とかと共同開発らしいわよ」
和奈が突然、ミーナの来ているオレンジ色の繋ぎの袖をピっと引っ張った。
「内規にひっかかる！」
「大丈夫だって、この部屋PPS5だし、大かたネットで流れてるレベルの話よ」
ミーナがさらにレナのほうに顔を突き出し言った。
「軌道上の宇宙船とか軍艦乗りの彼氏と、地上で待つ恋人が離れ離れの状態のままで、セックスするのよ。ロマンチックでしょ？」
ミーナはレナの境遇や自分の従事している事に、まるで大きな付加価値かプライドのようなものを感じさせようとするかのように目を輝かせた。
「まあ、サンプリングされるのは経験済みなんだし、時間も迫っているから、脱いでっ！」
レナはもう大体予想が付いていることだとは言うものの、説明を求めるような目線を返す。
自分と御揃いのレナのつなぎの胸元に手を遣り、ファスナーの引き手を摘みながらミーナは無表情に言い放った。
「全部！脱いで……」